Lorraine / ロレーヌ

Lorraine ロレーヌ

Lorraine ロレーヌ

Lorraineロレーヌという呼称は、中世初期からこの地がLotharingiaロタリンギア(フランク王国分裂後のロタールに分割された「ロタールの地」の意味)と呼ばれていたことに由来します。フランク王国分裂後、最終的にヨーロッパは西フランク王国と東フランク王国に分かれ、それぞれフランス(フランス王国)とドイツ(神聖ローマ帝国)になりました。現在ではフランスに属しているLorraineですが、当初から長い間神聖ローマ帝国の一部のLothringenロートリンゲン公国として存在していました。Alsaceアルザス地域圏もこの公国に含まれていました。ですので、両地域圏には似通った文化(それはまたドイツ的な文化)が色濃く残されているのです。近世に入るとLorreineはロレーヌ公国として、有名なStanisras Leszczynskiスタニスラス・レシチニスキ(一代公として)がフランス王国から拝爵するという形をとり、彼の死後は名実共にフランス王国に併合されました。その後も普仏戦争、二度の大戦の中でフランスとドイツの間を行き来し、最終的に今の状態に落ち着いたのは第二次大戦の終わりになってからです。このように、現在ではフランスの一地域圏として確立していますが、この地域圏(上に書いたようにAlsaceにも同じ事が言えます)には中世初期から近代までという長い時間にわたってドイツ文化圏に位置しており、町並みや言葉といったものに限らず食文化においてもその影響が顕著です。また、Lorraineは南東のFranche-Comtéフランシュ・コンテ地域圏とAlsaceアルザス地域圏の圏境にMassif des Vosgesヴォージュ山脈を持っており、そこにまた平野部と山間部による文化の差異が見られる等、ヴァラエティに富んだ地域圏であります。また、食文化に限って言えば、前述のスタニスラス・レシチニスキ公の功績も大きいです(個々の事象については後述しますが、例えば彼のお抱えの菓子職人だったのがParisに現在でもその名を残すStorerストレーであった)。


metz

Metz

nancy

Nancy

epinal

Épinal

vittel

Vittel

liverdun

Liverdun

commercy

Commercy

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Bar le Duc

remiremont

Remiremont

plombieres-les-bains

Plombières les Bains

verdun

Verdun

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Boulay Moselle